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フィガロの結婚について

フィガロの結婚

■こちらでは、フィガロの結婚について解説いたします

下記動画にても大まかではありますが、同様の内容をまとめてありますのでよろしかったらご参考にして見て下さい ▼

フィガロの結婚 序曲 動画の出典元https://www.youtube.com/watch?v=7VtIJ04MV6w

原題:Le nozze di Figaro(レ・ノッツェ・ディ・フィガロ)

作曲:ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト

原作:カロン・ド・ボーマルシェ

台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

初演:1786年 5月1日 ウィーン ブルク劇場

フィガロの結婚について

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オペラ「フィガロの結婚」は、フランスの劇作家ボーマルシェの原作を元に、イタリア出身の台本作家ダ・ポンテが台本を書き、オーストリアの作曲家モーツァルトによって作曲され誕生した。

 

フィガロの結婚が初演された18世紀末のヨーロッパは、フランス革命などにより貴族支配の社会が終わりを告げる時代でもあった。

 

そしてフィガロの結婚の内容は、その激動の時代の世相を色濃く反映したものとなっている。

 

 

フィガロの結婚のストーリー

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フィガロの結婚のストーリーは、伯爵家に仕える召使いのフィガロが、同じく伯爵家の召使いであるスザンナと結婚する日、その当日に起こった出来事を描いている。

 

もちろん、すんなりと結婚ができたという話ではなく、初夜権と呼ばれる新婦を寝取る事ができる領主の悪しき権利を廃止したはずの伯爵が、スザンナに横恋慕してしぶとく口説いてきたり、フィガロの方は、女中頭の老女と結婚させられそうになったりと色々と騒動が起こる。

 

しかしフィガロやスザンナ、そして夫の愛を取り戻したい伯爵夫人たちが協力して智恵と勇気をふりしぼり、権力者である伯爵との問題を解決し最後はハッピーエンドで幕となる。

 

 

物議をかもしたフィガロの結婚

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フランス革命 バスティーユ襲撃(1789年)▲

現代から見れば一見なにも問題ないストーリーのように見えるが、身分差が絶対の当時は、たとえ芝居であっても、フィガロのような召使いが伯爵に物申すという事は問題であった。

 

識字率がまだ高くなかった当時、本や新聞が読めない市民でも観劇ならば内容が分かるので、お芝居やオペラが市民に与える影響は大きく当時の王制もその内容に目を光らせていた。

 

お芝居やオペラには必ず検閲が入り、市民に悪影響をおよぼすと判断された作品は上演を差し止められることもあった。

  

 

貴族として生まれただけで好き放題しようとする伯爵。伯爵の理不尽さを正そうと立ち向かう召使いのフィガロ

 

フィガロの結婚」は、貴族が支配する社会の理不尽さに物申す作品として物議をかもした。貴族たちは「フィガロの結婚」を観た大衆が目を覚まし、自分たちに歯向かってくるきっかけになることを恐れた。

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ルイ16世(在位1774~1792年)▲

そのためフランスでは、オペラに先立って作られた戯曲のフィガロの結婚が国王ルイ16世により上演禁止令を出されている。検閲や改変、原作者ボーマルシェによる弁明などを重ねて、やっと上演許可が出たのは実に三年後の事である。

 

 

 

フィガロの結婚を作った人たち

原作者、ボーマルシェ

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カロン・ド・ボーマルシェ(1732~1799年)▲

フィガロの結婚の原作者カロン・ド・ボーマルシェは、フランスはパリの時計屋の息子として生まれ、劇作にとどまらず、時計屋、音楽家、外交官、商売人など様々なジャンルで多彩な才能を発揮したなんでも屋である。

 

フィガロの結婚の主人公、フィガロは数々の職歴を持つなんでも屋だが、ボーマルシェ自身もまさになんでも屋フィガロそのもののような人物であった。

 

さらにボーマルシェは、相手がたとえ目上であろうとも理不尽なことには立ち向かうというスタンスの人物であり、この点でもフィガロと共通している。

 

そのためボーマルシェは、敵も多く作り、訴訟や決闘沙汰なども多々あったが、中世に風穴を開けた風雲児と呼ばれる彼の生き方は、現代の映画やドラマの主人公達にも通じるヒーロー的な面がある。

 

 

台本作者、ロレンツォ・ダ・ポンテ

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ロレンツォ・ダ・ポンテ(1749~1838年)▲

ロレンツォ・ダ・ポンテはイタリア生まれの台本作家・詩人である。若い頃はヴェネツィアで聖職に就いていたが、放蕩生活がたたってヴェネツィアを追放された。

 

しかし、ウィーンに渡ると皇帝ヨーゼフ2世に召し抱えられ、数多くのイタリア語のオペラ台本を書いて活躍した。

 

ちょうどその頃、ウィーンでボーマルシェ原作のオペラ「セビリアの理髪師」を見て興味を持ったモーツァルトが、ダ・ポンテにフィガロの結婚の台本を依頼したのが、オペラ「フィガロの結婚」誕生のきっかけである。

 

尚、フランスでは戯曲のフィガロの結婚に上演禁止令が出されたが、ダ・ポンテがボーマルシェの原作から問題だった貴族批判を巧に薄めたおかげもあり、オペラ「フィガロの結婚」は無事に上演することができている。

 

 

ダ・ポンテを召し抱えてくれたヨーゼフ2世がこの世を去ると、ダ・ポンテもまたウィーンを去り、イギリスやアメリカを渡り歩くこととなった。

 

しかし、ダ・ポンテがウィーン時代にモーツァルトとともに作った作品、「フィガロの結婚」、「コシ・ファン・トゥッテ」、「ドン・ジョバンニ」は、今なお名作として世界の劇場で上演され続けている。

 

 

作曲者、W.A.モーツァルト

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ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト(1756~1791年)▲

オペラ「フィガロの結婚」の作曲者、ヴォルフガング・アマデウスモーツァルトは、幼いころから天才・神童と呼ばれたオーストリアの作曲家である。

 

しかし、ザルツブルグの宮廷楽団を辞めて、フリーで活動し始めてからはモーツァルトの生活は困窮していた。いかに天才といえど貴族の後ろ盾がないフリーでの音楽活動はまだまだ厳しい時代であった。

 

そんなとき作曲したフィガロの結婚は、プラハでの公演で大ヒットし、新作オペラの依頼(ドン・ジョヴァンニを作曲)まで頼まれ、彼の生活に潤いをもたらした作品となった。

 

 

オペラ「フィガロの結婚」は貴族が支配する社会がおわりゆく時代に、風雲児ボーマルシェと天才モーツァルト、そして天才と組んだ名台本家ダ・ポンテが作り出した、新しい時代の春風のような息吹を感じさせる作品である。

 

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フィガロの結婚 各幕解説

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